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お知らせ : 【赤木かん子還暦おめでとう企画】 34 本なんて、読まなくたっていいんだよ
投稿日時: 2017-4-19 9:43:38

本なんて、読まなくたっていいんだよ   by 須藤倫子 ブックトーカー/三鷹市文庫連絡会

かん子さんの文庫「海賊船」のお手伝いをしていた時期なので、かん子さんがアラサー、私がハタチ前の頃のこと。
 文庫なんだから、来た子の本選びのサポートや、読み聞かせをしてあげればいいんだな、という気でいたところ、確かに子どもたちは
「これみたいな本、他にある?」
「次これ読んで」
と言ってきてはくれるのですが、どうも目的は本ではないのではないか。
おねーさんにしゃべりかけたりくっついたり膝に乗るほうが主目的なのではないか。
そう気づいて私はとまどっていました。
ここは文庫なのに……。
 私自身が子ども時代を過ごした家庭文庫は、地域の熱心なお母さんたちが子どもの本についてイチから勉強しながら運営していたところで、本をみんなで楽しみつくそうという雰囲気に満ちていて、子どもたちは自分のペースで好きなように本と向かい合っていました。
だから「文庫」ってそういう場所、という固定観念が私の中にあったみたいです。
 「あの子たちは本を読みに来ているわけではないんだね?」
その日の文庫の時間が終わり、お昼をいただきながらそうつぶやいた私に、かん子さんが言ってくれたのがこの言葉でした。
「本なんて、読まなくたっていいんだよ」
 本はたしかにそれを読むいろんな人を幸せにしたり、生きる支えになってくれたりする。
でも大切なのはその人がしあわせになることで、本を読むことが大事なんじゃない。
本を建前にしか愛情をねだれない子がいるなら、とりもなおさず抱っこしてあげればいい。
 本なしには生きてこられなかったかん子さんが、やはりそうだった私にくれた大切な言葉です。

 現在私は地域の家庭文庫をベースに、本と人を繋ぐ活動にいろいろ取り組んでいますが、今もこの一言をいつも頭の片隅に置いています。


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かん子のコメント

子どもの頃の私にとって、本は無上の楽しみであると同時に救命ブイでもあった。
いま死んじゃうとあの本が読めなくなるからもう少し生きていよう……と、小学生の私は常に思っていた。
私は死にたいのではなくて、生きていたくなかったのである。
でも、死んではいけないということぐらいはわかっていたから、次から次へと読みたい本が必要だったのだ。明日、もう一日、生き延びるために……。

だから私の目標の一つは
“本がなくても楽しい人生”
……だった。
とりあえずいまは仕方ないにしても、ずっと中毒状態なのはいいことではない、と思っていたからだ。

楽しい人生の上に本を読む楽しみが乗っかるのはいいが、依存や中毒ではたしていいものだろうか?
と当時は思っていたのだ。
それが生きるに値しない、というわけではないが……。

私に向かって、本が好きでいいわねぇ!という大人はたくさんいて、悪い人ではないけど、いや、どっちかというと圧倒的にいい人が多かったんだけど、世の中には本を読む、ということがどういうことかわかってない人の方が多いんだなぁ……大人なのに!
ということはよくわかった。
ということは、私の気持ちをこの人たちは決してわかってくれないんだなぁ、ということでもある。
わかってくれるどころではなく、そこにあることにも気がつかないんだなぁ、だった。
もちろん、気がついて欲しいとか、わかって欲しいなどということは考えもしなかった。
わからない人にはわからないんだから、いったってわからない……。
もうその遥か昔に、どこかで私は諦めたのだと思う。

文庫をはじめてすぐに
「この本読んで〜」
と持ってきた本を二行も読むと
「これ、やっ!」
と、次のを持ってくる……。
次のもやだという……子たちに気がつき、だっこしておんぶしてぎゅっ!
に切り替えた。
子どもたちは敏感に、この人ならわかってくれると感づいたのだと思う。
でもこんなのはセンスがなくても、テクニックでカバーできることだ。
知識さえあれば、本を捨て、抱き締めてやることは簡単なのだから……。

だから私が腹をたてるのは、その鈍感さ、に対して、なのだ。
本はいいものなんだから、私が本を読んでやることはいいことなんだ、という思い込み……。
そこには誰もいない。
相手のことなんて見ていない、その子が楽しんでいるかどうかすら見えないその鈍感さに対する怒りを、もしかして当時、私は持っていたのかもしれない。
そんなことは到底無理だと、もっとずっと小さいときに諦めてしまったせいで気がつきもしなかった怒りが私のなかにはあったのかもしれないな、といまになって思う。

小さい子どもにとって、鈍感さ、はそれ自体が凶器なのだ。
気がつかれないイコール救われない、のだから。

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